昨日は大阪の家で起きた。
祖母の具合が悪いことを母から聞いた。涙があふれた。
彩と会い。むし氏の試写会に行った。これはあかんやろ。というのが僕の感想。
ご飯を食べて、大丸のピカソ展へ行った。
多くのものは悪く、少しのものはとても良かった。
ピカソは常に天才というわけではない。多くの時間、彼はピカソ風の絵を作る職人でしかない。しかし、ときどき彼には天才が宿る。それはいつか?彼が絵のスタイルを変えたときである。おそらくそのことを一番理解していたのは彼自身ではなかっただろうか?「スタイルを変えるのが私のスタイル」という彼の言葉にそれがあらわれていると思う。
その晩京都に戻る。